電子書籍が売れました。

みちこの姉のしみです。

7月7日にパブーさんに置いていたみちこの電子書籍が1冊売れました。

買ってくださった方、ありがとうございます。

元気がでました。どこかでだれかが見ていてくださると思うと頑張れます。
 

みちこの主治医

JUGEMテーマ:健康
いつかパソコンを始めたころ、みちこの主治医である院長先生を検索してみました。

千葉で、終末期の患者さんを受け入れる病院の院長をなさっていました。

懐かしくなり、手紙を出しました。先生から、お返事が来ました。

「みちこさんのことはとても印象的で、憶えています」とのこと。

先生はテレビに出たこともあり、たくさんの患者に慕われていました。

みちこも、この先生が私の神様だ、と言っていました。

その先生が亡くなっていたことを、最近知りました。たまに見る先生の病院のサイトはいつもと変わりはなく、
私はトップページだけ見て、先生おいくつになられたのかなと思ったりしていました。

それが先日、サイトの中までいろいろ見ていたところ、先生が亡くなられていて、あとを継いだ若い先生の
コメントがありました。先生は人工透析をしながら患者さんを診ていたそうです。

亡くなったのをずいぶん前から知らずにいました。

先生は、病院でも白衣を着けず、いつもニコニコしていました。みちこの病室に入るとき、

「こんにちは〜美人のみっちゃんはいるかい?」と言うのが口癖のようでした。

初対面のとき、先生は私の顔を見て、「なんだい、美人のみっちゃんの妹かい?」と笑いました。

「あ、姉です」と答えました。私服だったし、病室の入り口で行ったり来たり、ふざけたような入り方を
してきたので、私はてっきり患者さんかと思ってしまって。

先生「そうか、お姉さんか、美人のみっちゃんじゃなくて今度はブスのみっちゃんと呼ぼう」

みちこ「ひっど〜い!」

先生(みちこの両足の裏をこちょこちょしながら)「うん、うん、いいね」

これでささっと部屋から出ていきました。

私「なに今の変なおじさん」

みちこ「なに言ってるの!今のが院長先生だよ!」

私「なんでそれをすぐ言わないの!挨拶しそこねちゃったじゃない!」

みちこ「足をさわるのはいつもの診察なんだよ」



先生、ありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。

骨肉腫の自覚症状

JUGEMテーマ:健康
みちこが最初の入院をするまでの、1月から4月までの病状を書いていきたいと思います。

あまり自分の体調を言わない子でしたが、秋くらいから「腰が痛い」と言うようになっていました。でもそれはかすかな痛みで、湿布もしていませんでした。

1月成人の日。ものすごく寒い日でしたがいとこの成人式のためにおよばれしていました。みちこはお気に入りのベージュのスーツで、スカートが短かったので少し寒そうでした。

「寒いというより、腰が痛いんだよ」みちこが私にぼそっと言いました。

「ずっと痛いのが治らないんだけど、何科に行けばいいのかな」普段医者とは縁のないみちこはどこの病院に行ったらいいかわからないようでした。

夜になってお風呂で腰を見てもらいたい、とみちこは私に言いました。

人間の腰は左右同じです。ウエストのあたりにちょんちょんと左右にくぼみみたいのがあります。

これが、みちこにはありませんでした。左は普通にくぼみがありましたが、右腰はたいらになっていました。

「どこかにぶつけた?こっちだけたいらになってるよ」と言うと、「じゃあ整形外科行ってくる」という話になりました。

市内で一番大きい整形外科に行き、レントゲンを撮りました。なにも写りません。

たぶん今はMRIやCTがどこでもありますので、この時点で気づくと思われます。

いえにあった「家庭の医学」を読んで、「整形外科では異常なしって言ったけど、痛いのは治らないんだよなあ」とあてはまりそうな病気を探していました。

それで2月ごろ、いとこの紹介で整体のいいところがあるというので隣の県まで通いはじめました。しみが運転し、みちこが助手席。1時間くらいのドライブで、いろんな話をしていました。

整体では、「これは悪い病気じゃないよ」と言われ、安心したようでした。実際もんでもらうと痛みは引いたそうです。

3月。合格したデパートの研修旅行がありました。寺に入り、修行僧と同じ生活をして心身を鍛える、というものでした。

しかしここへきてみちこが珍しく風邪をひきました。短大の卒業式もありましたが、はかままで予約しておきながら熱が上がり行けませんでした。

「研修旅行に行かないと大変なことになる」とみちこはあせってたくさんの市販の風邪薬を飲み、2泊3日の旅行に出かけました。

帰ってくると、かなり疲れた顔をして、「朝4時起きなんだよ、寒くて腰がよけいに痛くてつらかった」とぼやきました。

引っ越しの準備の忙しい中、みちこは市内の整形外科に再び行きました。「どうしても痛いのが治らない」これには医師も首をかしげたそうです。

「少し入院してみませんか?いろいろ調べたい。カリエスかもしれない」と言われたそうです。しかしもう4月からは東京です。田舎の病院に入院している時間はありません。みちこは入院を断りました。

4月。1日からハードな仕事が始まりました。みちこは3か月間の見習い期間で、先輩がひとり付いて毎日販売の特訓です。みちこの先輩はとても優しい人で、毎日日報にびっしりその日の反省を書いたみちこに、「そんなに神経質にならなくてもいいんですよ」と書いてくれました。その日報が今も残っています。

みちこはここでまた風邪を引きました。今までは風邪なんて引いたこともない子で、かなりしょげて電話をかけてきました。

母親に「ほら!だから東京なんて行くと風邪の看病もしてやれないんだよ!自分でなんとかしなさい!たるんでる!」と言われ、私にぐちりました。「今度は職場の近くに整体を見つけたから、そこへ通う」と言いました。

こう何回も風邪を引いたのは、骨肉腫のせいで免疫力が落ちていたためだったんですね。

「腰痛い?」ときくと、「実は右腰が膨らんでる」と言いました。「どのくらい?」「まあるく3センチくらい膨らんでる。整体で針を刺したからそこからばい菌が入ったかも。腰は1日中痛いよ。立ち仕事がきついよ」

それでもがんばって、整体を続けながら職場に通いました。英語で接客をし、売れると先輩たちとごはんに行ったそうです。

整体の先生に、「これはおかしい。大きい病院に見てもらったほうがいい。悪い病気かもしれない」と言われ、それから都内の某大病院に行き、「悪性腫瘍」とわかったのです。秋に痛みはじめてから半年経ってしまいました。腫瘍は夏みかん大にまで膨れ上がって、表面が紫色になっていました。

がんセンターの患者さんもみんな同じように、がんだということにたどり着くまで半年〜1年くらいは経ってしまっていたそうです。みちこは「珍しいがん」ということで、少しも待たずに入院ということになりました。

みちこの書き残したもの

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みちこは、自分の本心や治療のつらさのことなどを紙に書いて細かくたたんでごみ箱に捨てていたようです。

そのうち一枚をアップします。これは偶然母親がごみ箱から拾ったものです。ほかのごみにまぎれることなく、いちばん上にぽんと置いてあったそうです。

字の色が見づらくてすみませんが、これはみちこが個室に入って自分の症状を書いて医師に見せてから捨てたものらしいです。

痛くて痛くて、たいへんだったんだ、と改めて思いました。

モルヒネも吐き気の副作用で使えなくて、ほんとうにかわいそうだと思いました。


みこの字

お見舞いの花束

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「このブログはお見舞いに花束を持ってくるからうそだ」と言われました。

現在は病院から花束を持ってこないようにと入院パンフに書いてありますね。

しみが良性腫瘍を取るための入院をしたとき、そういうパンフをもらいました。たしかに動けない病人に花束は管理ができないし、雑菌も繁殖しますからね。

みちこの時代はまだそんな決まりはありませんでした。もう、花束だらけ。

みちこが、看護師さんに「お水の交換がしんどい」と言って、もらった花束をナースセンターに持って行ってもらうことも何回かあったようです。

匂いの強い花は気持ち悪くなっちゃったりで、よくないですからね。

病室内にかざる小物は喜ばれたようです。ぬいぐるみとかはほかの患者さんと好みのものを交換したりしていたそうです。

それから、鉢植えはほんとに嫌われるんですよ。これは変わってないみたいですね。昔も今も。

「根付く」が「寝付く」になって縁起が悪いということで。それでも持ってきちゃう人がいて、ナースセンターのカウンターには鉢植えのきれいな花がたくさん置いてありました。

みちこの髪

JUGEMテーマ:健康
みちこが抗がん剤を受けることになって、いちばん気にしていたのは髪が抜ける、ということでした。

吐き気やおう吐は我慢できても髪が抜けるのは絶対イヤ。これが口癖でした。

みちこはおしゃれが大好きで、特に髪はとても気を付けていて、高校生ごろから毎日朝シャンプー、ドライヤーでカールをつけて登校していました。(学校はカーラーは禁止なはずでしたけど守っている人はいなかったような…)

みちこは生まれつき茶色の髪で、市松人形のように真っ黒な髪の姉とは対照的でした。母方の親戚に茶髪が多かったのでそれが遺伝したのでしょう。その上ドライヤーで毎日巻いているものだから、髪が傷んでさらに茶色くなっていました。

がんセンターで抗がん剤を点滴するときは、髪が抜けないように、氷を頭に巻きつけて頭皮の血流を悪くしていました。氷を入れたビニールの袋が動かないようにヘルメットをかぶっていました。ナースセンターにたくさんのヘルメットが置いてありましたがそういう理由だったようです。

それでも髪はしだいに抜けはじめました。みちこは髪をとかすのも恐ろしいと言っていました。

でも全部抜けるということはありませんでした。それでこのブログがそこもうそをついていると言われました。

本当に、髪は保っていたのです。くしを入れるとごっそり抜けることはありました。枕が髪だらけになっていることもありました。でも全部は抜けなかったのです。

もし肺が破裂しなかったら、強い抗がん剤を受けることになっていて、それをしたら、全部髪が抜けるよ、と主治医に言われていたそうです。

放射線治療は毎日やっていましたが、抗がん剤の点滴は普通より回数が少なかったようです。

しみが趣味で持っていたウィッグ(黒のストレートロング)をみちこが貸してほしいと言いましたが、実際みちこがそれを使うことはありませんでした。外出する仲間に貸していたそうです。真夏には暑かったと思います。返してもらったウィッグを私が洗いましたが、すごい脂でした。ベトベトになっていました。

現在では医療用のウィッグも開発されて、夏でも蒸れないようですね。当時はおしゃれ用ウィッグを買うしかなかったのです。しみのウィッグも、値段はけっこうしました。今は安いですね。

みちこは髪が多めでしたが、そのころからしみはかなり薄毛でした。

夏にみちこが病院から帰ってきて、洗面所で髪をとかすしみを見て、「まるでお姉ちゃんが抗がん剤をしたみたい。脳天うっすらはげてるよ」と言いました。地肌が見えるほどしみは薄毛でした。

そういえばYちゃんもかなり薄毛でしたがリボンで髪を留められるくらい髪はありました。抗がん剤で丸ごと抜けるという人と、薄毛にはなるけれど残る人と、体質的な違いがあるようでした。みちこの撮った患者さんたちの写真も抜けて帽子をかぶっている人が半数くらいだったようです。

9月5日

9月4日に亡くなったみちこですが、家に帰ってきたのは9月5日のお昼頃でした。

みちこは白い布でおおわれて、眠っているようでしたがうぶ毛まで凍っていました。葬儀まで2日ありましたが、まったく問題なく、病院の冷凍システムはすごいなと思いました。

もしあのとき、献体を断って運んだら、ドライアイスを入れてもらえただけで、ちょっと怖いことになっていたかもしれません。

まずみちこの友人知人、関係者に連絡しなくてはなりません。

病院からも電話をかけましたが、みちこのアドレス帳がみつからず、たいへんでした。

家にあるもうひとつのアドレス帳から次々電話をしていきました。

新聞社からもおくやみ欄の掲載について電話がありました。2社から連絡がありましたが両方とも載せてもらうことにしました。

そのころは個人情報がどうの、とかありませんでしたから、病院名や病名まで載ったのです。

新聞は次の日の朝刊に載るということでしたが、それまでに驚くことが起こっていました。

町中に「しみが死んだ」とうわさが夜のうちに広まり、5日にはかなり広まってしまったようです。

そこで、かけつけてきたしみの同級生に(そのときの彼女の驚きようはすごかったです)しみじゃなくて、みちこだよ、妹のほう!みんなに話して、と頼みました。

「もう○○ちゃんにしみが死んだって話しちゃった」とあちこちから言われました。

しみは昔から体が弱かったのを同級生は知っていたので、当然のようにしみが死んだと思い込んでしまったのでしょう。

それで、また電話をかけまくることに。いちばん苦手な先生にも電話をしなけりゃならなくなり、もう大パニックでした。

先生に電話をすると「もう○○先生に話しちゃった」

あららー、です。

訂正するのにかなり時間がかかりました。今ならメールとかありますけど、黒電話の時代ですからね。留守番電話などもなかったし。

先生が言うには、みちこのように運動も勉強もそこそこできて、手がかからない生徒、というのは記憶に残らないそうです。

しみのように学校始まって以来の病弱、運動音痴、学校も休んでばかり、などという生徒はよく覚えているそうです。それでよけいに「しみが死んだ」と思い込んでしまったそうです。

「しみが死んだと言われても、べつに驚かないけどみちこちゃんが死んだなんて信じられない」とあちこちで言われました。

骨肉腫という病気は元気な子がかかるイメージがあります。サッカー選手にもいましたよね。

笑えない笑い話です。

みちこの最初の入院

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4月からデパートに勤め始めたみちこ。

腰は整体に通い、3日おきくらいにもんだり温めたりしてもらっていたそうです。

5月になって、その整体の先生から、「腫れ物が以前より大きくなっているよ。もしかしたら悪い病気かもしれないので一度大きな病院で検査してもらったほうがいいよ」と言われたそうです。

東京には大きな病院がたくさんあります。みちこは職場からいちばん近い大きな病院にまず電話をかけたそうです。

「一般の人がいきなり行って診てもらえますか?」

そのころは大病院でも今とは違い、紹介状なしで診てもらえました。5月にみちこは大きな病院へ行きました。

整体でもんだりしたせいか、そのころには腫れ物は夏みかん大にまで大きくなっていました。

みちこを診てくれた女医さんは、みちこの腫れ物を診て、驚愕したそうです。

「なんでこんなに大きな腫れ物があるのに今までほうっておいたの?」と。

まずはその腫れ物を女医さんが触り、注射器で中身を吸い上げてみたそうです。

「あら、血しか出てこないわ」

しみも腫れ物ができたことがあります。手術して取りました。それは良性腫瘍でゴルフボール大だったのですが、中身はゼリー状の透明な脂でした。

女医さんは脂が出てくるものと思っていたそうです。

「これは大変なことです。すぐ検査をします」みちこはその日からその病院に通いました。CTやMRIを撮って、その結果を聞きに行く日に、受付だけ済ませて渋谷に遊びに行ってしまったそうです。

お昼頃、病院に帰ると、すぐ呼ばれました。というか、病院では何回もみちこの名前を呼んでいたそうです。

「どこに行っていたの?何回も呼んだのよ。あなた大変な病気にかかっているのよ」

そのとき、「悪性腫瘍」と言われたそうです。とにかく一刻をあらそう病状なので、すぐに入院するように、ということでした。

みちこは自分の身になにが起こっているのかわからない状況だったそうです。

「まず抗がん剤でたたいて、病巣を小さくしなければ手術もできない」ということでした。

しかもとても珍しい位置にできた病気(がん)、ということで、ふつうなら3か月は待たされるのに、即入院と言われたのでした。

そして、その東京の大病院でも手術は不可能で、抗がん剤だけやったあとは千葉のがんセンターに転院してもらう、とのことでした。

めまぐるしく変わる状況に、みちこの5月の日記はぐちゃぐちゃでした。

みちこの不思議な想い出

JUGEMテーマ:健康
みちこが高校生になったころ、よく夜更けまでふたりで話をしていました。

好きな芸能人の話とか、欲しいものとか、ごく普通の話です。

姉妹で仲が良かったほうだと思いますが、しみがいつも具合が悪く学校を休んでいて、寝込んでいたので、小さいころはあまり話しませんでした。

うちへ帰ってくると病気のお姉ちゃんが青い顔してる→うちにいても面白くない→友達の家に遊びに行く、という感じでみちこが高校にあがるくらいまではあまり話が合いませんでした。

高校のころになると、将来が気になります。みちこも、「大学に行きたい」と話すようになりました。しかし家は大学に出すお金ががないので専門学校か短大しか出せないと言われ、ひどく落ち込んでいたようです。

12時を回って、そろそろ寝ようかなというときに、みちこがふと言いました。

「お姉ちゃん、私、30歳まで生きない気がするの」真顔でこう言うのです。

「若いころはけっこうそういうふうに考えるものだよ」と応えると、ううん、と首を振って、悲しそうな顔をしました。

「なんか私、自分の未来が見えないの」みちこは真剣な顔でした。

今でいう「中二病」みたいなものかと思っていましたが、あまりに真剣なのでどうしてそんなふうに思うの?とききました。

「友達と話していても、みんなは未来が明るいように感じるの。私ひとり、この友達の輪からいなくなるんだって予感がして、怖いの」

「そんなオカルトまがいなことを」と笑うと、「お姉ちゃんなら真剣に聴いてくれると思ってたのに」と言いました。

「お姉ちゃんが赤ちゃんを抱いてるシーンも浮かばないの。でもお姉ちゃんは長生きするよ。私は時間がない気がする」

寝る前にへんなことを、と思っていると、「もう、いい」と言って部屋に戻ってしまいました。

みちこは何か感じていたのでしょうか。

ほかにもみちこはテレビを見ていて、お笑いなどを見ながら「この人はこれからヒット作を出して長く芸能界にいると思うよ。だけどこっちの人は今は人気あるけどすぐ消えるね」とよく言っていました。

不思議なことにその予想がよく当たるのです。みちこが「残る」と言った人たちは現在(2014年)では大御所クラスになっています。しみが好きだった歌手やバンドはいなくなっています。

それから、私が柱にもたれて座っていると、すぐ「そんな不自然な恰好をしていると、こつにくしゅになるよ!」というのが小学校時代からのみちこの口癖でした。なんでこつにくしゅなの?と言うと、「わかんないけど、こつにくしゅは怖いんだよ!」と言っていました。テレビの影響かもしれませんが…。

病気になって、私とふたりだけになると、「やっぱり予感が当たったね…」と泣きそうでした。

 

献体

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みちこが亡くなった日のことです。病院で手続きがいろいろある、ということで父親が担当医とみちこの部屋を出ていきました。

それからしばらく帰ってきません。みちこは顔に白い布もかぶせてもらえず(医師がかぶせるものではないのかな?)、母親が自分の水色の花のワンポイントの入ったハンカチを顔にかぶせました。

その辺を片づけていたら、父親がもどってきて、一枚の書類を出しました。

「俺は献体を決めたから、ここにハンコを押してくれ」

献体というのは、亡くなった患者さんの病巣を取るものらしい。この病院では亡くなると医師から献体を申し込まれることが多い。

母親が、「痛いところはみんな取ってもらったほうがいいよね」とみちこに言うと、書類にサインとハンコを押しました。

まもなくストレッチャーが運ばれてきて、みちこは病室から出ていきました。

「医学の発展のためのご協力ありがとうございます。解剖には時間がかかりますのでホテルをご用意しました。今夜はお泊りください。家までのお車の手配もいたします」

あとでわかったのですが、このとき断っていたら、車も手配してもらえず、病室からも追い出され、自分で葬儀屋さんを手配して家までの遠い距離を夜中に移動するところでした。

葬儀がこれで一日遅れましたが、とても丁重に扱ってもらい、両親も少しは疲れが取れたのではないかと思います。

1年後、がんセンターから手紙が来ました。毎年ひそかに行われている供養イベントの招待状でした。

こんなことをやっていたのか、と驚きましたが両親が出かけました。

主治医の挨拶によると、あの年は末期患者が集まって、次々亡くなるというセンターでも珍しいことが起こった年だそうです。

あの年に献体をしたのはみちことTくんだけだったそうです。秋にTくんも亡くなったとそこでわかりました。

ほかの人は「こんなに苦しんだ子にメスを入れるなんてできない」と泣いてすがって、献体は拒否したそうです。

「そういうものかなあ」と父は言いました。

主治医の名前で検索すると、みちこの献体で書き上げた論文がヒットしました。

みこ、役に立てたんだね、と思いました。

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