献体

JUGEMテーマ:健康
みちこが亡くなった日のことです。病院で手続きがいろいろある、ということで父親が担当医とみちこの部屋を出ていきました。

それからしばらく帰ってきません。みちこは顔に白い布もかぶせてもらえず(医師がかぶせるものではないのかな?)、母親が自分の水色の花のワンポイントの入ったハンカチを顔にかぶせました。

その辺を片づけていたら、父親がもどってきて、一枚の書類を出しました。

「俺は献体を決めたから、ここにハンコを押してくれ」

献体というのは、亡くなった患者さんの病巣を取るものらしい。この病院では亡くなると医師から献体を申し込まれることが多い。

母親が、「痛いところはみんな取ってもらったほうがいいよね」とみちこに言うと、書類にサインとハンコを押しました。

まもなくストレッチャーが運ばれてきて、みちこは病室から出ていきました。

「医学の発展のためのご協力ありがとうございます。解剖には時間がかかりますのでホテルをご用意しました。今夜はお泊りください。家までのお車の手配もいたします」

あとでわかったのですが、このとき断っていたら、車も手配してもらえず、病室からも追い出され、自分で葬儀屋さんを手配して家までの遠い距離を夜中に移動するところでした。

葬儀がこれで一日遅れましたが、とても丁重に扱ってもらい、両親も少しは疲れが取れたのではないかと思います。

1年後、がんセンターから手紙が来ました。毎年ひそかに行われている供養イベントの招待状でした。

こんなことをやっていたのか、と驚きましたが両親が出かけました。

主治医の挨拶によると、あの年は末期患者が集まって、次々亡くなるというセンターでも珍しいことが起こった年だそうです。

あの年に献体をしたのはみちことTくんだけだったそうです。秋にTくんも亡くなったとそこでわかりました。

ほかの人は「こんなに苦しんだ子にメスを入れるなんてできない」と泣いてすがって、献体は拒否したそうです。

「そういうものかなあ」と父は言いました。

主治医の名前で検索すると、みちこの献体で書き上げた論文がヒットしました。

みこ、役に立てたんだね、と思いました。

みちこと姉

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みちこと姉しみのこのブログが「気持ち悪い姉妹、とくに姉」と言われていると聞きました。

たしかに、みちこは普通の人でしたが、しみはちょっと変人です。

しみは物心ついたころから体がとても弱かったので、いつもベッドに寝かされていました。

運動会に出たことはほとんどなし、七五三も成人式もできませんでした。

それで小学校時代から、万能選手のみちこに自分の夢を託したのです。

しみのできないことを、みちこにやってもらい、その成功を見て、わが事のように喜んだものです。

みちこにたよらずできたことは漫画くらいでした。

みちこが亡くなってから10年ほどやはりしみは入退院の繰り返しでしたが、漫画家になりたくて、上京し、あちこちの出版社を巡ったものです。

みちこが病気のとき、「お姉ちゃんは夢があるよね?夢はかなうと信じればかなうから、一生懸命努力したほうがいいよ。私も応援する。私も治ることを頑張るから」と何度も言いました。

結局、しみはある出版社にひろってもらい、5年ほど駆け出しの漫画家として働きましたが、体調をくずして、単行本もヒット作も出せず、漫画界を去りました。なんでこんなに体が弱いのだろうとくやしくてたまりませんでした。

みちこは唯一、私の夢を応援してくれた人でした。病気になってから、漫画を読むようになり、それまではバカにしていた漫画のことも認めてくれました。「お姉ちゃんの漫画が雑誌に載っているところを見たい」と言ってくれました。

私たちはふたりして上京して、アパートを借りて、私は漫画を描き、食事を作り、みちこはデパートに勤める、という人生設計を立てていました。ふたりともかないませんでした。

しみはそのときの無理がたたって本格的に体を壊してしまい、現在も家で寝たり起きたりを繰り返しています。

みちこの成人式の着物姿を思い出します。いちばん高いレンタルの着物で、それはきれいでした。自分ができなかったことを代わりにやってくれた、としみは喜びました。

就職もそうです。第一志望のデパートに合格したみちこと私で、上京を反対した親を懸命に説得しました。

しみはアルバイトくらいしか職に就けませんでした。みちこは自慢のたねでした。

私たち姉妹は一卵性双生児のようでした。みちこが亡くなり、しみは半身失ったようでした。

みちこが言いました。

「うちは、私がこんな病気になっちゃって子どもが生めないし、お姉ちゃんも体が弱くて生めないね。うちの家系は絶えちゃうね」

ふたりして、両親にもうしわけない気分でいっぱいでした。

昔出した「みちこの闘病記」

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今回このブログに載せた漫画は、みちこの年回のとき、親戚に配り、みちこの友達の希望者などに配った本からのものです。

みちこは生前、「私の闘病記を出して。ありのままを描いて。私が一生懸命闘病した記録をたくさんの人に見てもらいたいの」と私に言いました。

姉のしみは生まれつき病弱で、普通の人ができることがまともにできないのですが、絵だけは頑張っていました。

それで、漫画とみちこの日記からとった闘病の様子を書いた90ページの本を出しました。

この手の病人が亡くなった本は「まんじゅう本」とも言われ、お葬式や年回などに関係者に無料配布するものです。

その本が地元のローカル紙の目に留まり、新聞に掲載されました。それで、けっこうな数が出て行ったこともありました。

しみは会員制健全オリジナル同人会に所属してましたので、本がどうやって作られるか知識があり、同人誌を刷っている印刷会社に頼んで作ったので自費出版本としてはかなり安く作れました。

しかし「まんじゅう本」はもらった人はやたら捨てられないし、結構困るものなんですよね。

その本を出してからかなり時は過ぎて、しみもパソコンをいじるようになりました。しみ自身もいくつもブログを作り、漫画などを載せていましたが、同じサークルの人にみちこの闘病記を渡したあたりから、「これ、ブログに書こう」と思い立ちました。

「まんじゅう本」のネット版、という意識でした。そのままノンフィクションで書こうかと思いましたが、みちこがもしパソコンを知っていたら、と想像が膨らみ、闘病記は現在進行形にしてしまいました。

登場人物が実在して、亡くなってしまっているので(家族の方の連絡先もわからないし)かえってフィクションを入れた方がいいのではとも思いました。

みちこの日記に、入院のこととか書いてあったのが5月で、ブログを書こうと思い立ったのも5月で、かなりあせりました。

日付が合わないと内容がおかしくなります。年号が合わないので曜日がずれて、よくよく見ると日曜日に手術していたりして、おかしなところもいくつも出てきてしまいました。

がんセンターのサイトを見ると、「患者が病気と闘うための知識を仕入れるパソコン部屋があります」とあったので、そのままみちこがパソコン部屋に通える設定になりました。

「人をだましてパソコンの前であざ笑う」などと書かれましたが、そんな気持ちはみじんもありませんでした。

ただ、多くの人に知ってほしかったのです。同人で本を出すことと同じつもりでブログを続けていきました。

しみは2ちゃんねるをたまに見ますが、スレに書き込みをしたことはありません。2ちゃんねるは怖くて、書き込むと個人情報を抜かれるとか、ウイルスに感染するとか聞いていたので見るのも怖かったのです。マルチポストのようにあちこちにブログのアドレスが書かれていた、と知って恐ろしくなりました。

昔出した紙の闘病記はほとんど配り終えました。

このブログはボタンひとつで電子書籍になると最近知って、パブーさんに電子書籍にして並べてもらいました。

無料でできる電子書籍なのです。クリック数回でできてしまいます。それで電子書籍にしました。

「まんじゅう本」の電子版です。

 

みちこの淡い恋バナは事実です

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みちこがKくんという優しい男の人と出会って恋をして、という日記を書きました。

まとめサイトなどではこれは「出版化にむけてウケをねらって書いたうそ」と決めつけられていましたが、うそではありません。

事実です。

この恋のお話は、音楽が実は洋楽だった、ということ以外は事実をそのまま書きました。

みちこは見た目は彼氏も何人もいそうな子に見えましたがとても男の子に対しては警戒心が強く、初恋もKくんでした。

しあわせな時間を、少しの間ですが過ごせました。

Kくんのお姉さんに、Kくんの死後、私はワインカラーのベレー帽をもらいました。

「Kとおつきあいしてくれてありがとう。Kもしあわせそうでした」と、メモが入っていました。

絵を描いていてベレー帽をかぶるのは気恥ずかしかったのですが、ありがたくいただき、今でも大事に持っています。

もしかして、今みたいに写真がばんばん撮れるケータイやスマホがあったなら、ふたりのたくさんの写真が残っていたでしょう。

照れ屋のみちこはそういう写真はわざわざ撮らなかったようで、ツーショットの写真はみつかりません。

指輪はお葬式のとき、(うちの地方では骨壺からお骨を出して、お墓の中にばらまいてしまいます)お墓の中に入れました。

Kくんからもらった指輪と、父親からもらったブレスレットと、みちこが買ったネックレスを入れました。

「今の金でしょ?なんで入れちゃうの?お姉さんがつければいいのに!」と参列していた親戚に言われました。でも3つとも大切なみちこのものです。みちこに返しました。

みちこの年齢

姉のしみです。

自分で昔のみちこの闘病記の原稿を出してきて、あっと思ったのですが、私、みちこの年齢をこのブログに書くとき、誤っていたようです。

なんで間違えたんだろう。ほんとうにしみは算数の計算もできないんですね。自分であきれてしまいました。

みちこが亡くなったのは22歳のときです。ブログでは間違えて書いていたような…。

みちこは高校の後、一年予備校に通っていたのですがそれをすっかり落っことしてしまったようです。

さらに、うちの地方だけか知らないんですが、墓碑銘に書きいれるとき、「すこしでも長くこの世にいたこと」をあらわすために、年をひとつ多めに刻みます。だから墓碑銘ではみちこは「二十三歳」と書いてあります。

すみませんでした。

ほんとうに、なにも考えないでブログをスタートさせたんだな、と自分で思います。あのころはここのアドレスを私の友達数人に教えて、内輪のみで盛り上がって書いていました。ほとんど同人誌の漫画サークルのノリでした。ほんとうに、深く考えないで書き始めたのです。

みちこいくつくらいだったっけ〜なんて信じられないようなバカなことを言いながらみちこの日記帳を見て書いていました。

骨肉腫の初期症状

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ここを検索してきてくださる方に、「骨肉腫・初期症状」というものが非常に多いので、思い出して書いてみることにします。

みちこはとても健康で、風邪ひとつひきませんでした。

それが骨肉腫とわかる前の3年くらいは体調がおかしくなってきていたのです。

まず顔ににきびがたくさんできました。みちこはこれをすごく気にしていて、市販薬を塗っておりましたが、治りませんでした。

あまりに次々にきびができるので、ホームドクターの内科医に相談に行ったら、なんと更年期の漢方薬(母親がもらっていたのと同じもの)を出され、怒って一袋も飲みませんでした。

そのころ、みちこの腕にある疱瘡のあとが、じゅくじゅくしてきました。かゆくてかいてしまってより悪化するような状況でした。

今思うとこれも病院に行っていたほうがよかったのではと思います。

みちこはマキロンなどを適当につけてやりすごしました。

短大に入って、2年生になったころ、みちこは突然の下痢と便秘の繰り返しに悩まされました。

バス通学していたのですが、バスから降りてコンビニのトイレを借りるようになり、バスが怖くなったとこぼしておりました。

そうしてしばらく下痢が続くと今度は便秘です。みちこはこれも市販薬で治しました。まあ完全には治らず、2年生の後半はかなり悩んでいたそうです。

これは腰の内側の腫瘍が腸を押していたからだったんですね。

薬のおかげで下痢便秘はなくなりましたが今度は腰が痛くなりました。整形外科に行き、レントゲンを撮りましたが何も映らず、痛みはずっと続いたままの鈍痛で、軽いものでした。これが落とし穴でした。みちこはそれから整体に通い、腰の痛い部分をもんだり、あっためたり、冷やしたりを繰り返しました(癌細胞にとってもむのはいちばん刺激をあたえるのでよくないそうです。みちこは癌に対していちばんやってはいけないことを半年間も続けてしまいました)。

東京に出る前、一度病院で血沈を測りました。このとき、血沈が異常に早かったそうです。「風邪でも引いたんだろう」ですませてしまいましたがこれが現れだした骨肉種の症状だったんですね。

普通骨肉腫は腕や脚にできます。服やズボンが片方だけ入らなくなって、おや?と気づくのですが、みちこは胴体、腰だったので発見が遅れたということです。

骨肉腫の痛みは始めは軽い鈍痛です。湿布を貼ると治るくらいの鈍痛です。ただし、それは持続性の鈍痛です。しだいにひどくなります。

今はMRIやCTが町医者にもある時代なので、少しでもおかしいと思ったらそういう設備のある病院へ行ってください。一刻を争う病気です。骨肉腫は子どもや若い人に多い小児がんの一種ということです。こう考えるとみちこは高校生のときから癌の症状があらわれていたようです。

それから、へんに体がだるいという症状もずっとありました。みちこが短大に行っていたとき、よくうちで昼寝をしていましたが今思うと体がそうとうだるかったのでしょう。

なんで気づいてやれなかったか悔やみますがこの症状も軽いものが多いのでしろうとが発見するのは大変なことです。

このブログが少しでもお役にたてれば幸いです。                    姉・しみ

みちこの日記の地震の話

これから時々、みちこの日記の姉の書き足し部分のこととか、みちこのことを書いていこうと思います。

まず、このブログではみちこが能登地震に巡り合ったと書きました。

みちこの本当の地震は千葉沖でした。そのときに私に電話してきて、いろいろ話したことを思い出して、能登地震とからめて書きました。いけないことをしてしまったと思います。

みちこは肝がすわっていて、たいていの地震には驚きませんでした。千葉沖地震が起きて、みちこの病院のあたりは震度4でした。ベッド上で動けないみちこはそのとき地震をはじめて怖いと思ったそうです。病棟は地震を怖がる患者たちの悲鳴であふれたそうです。

すぐに看護師さんたちが病室全部を回ってきて、「この建物は震度7でも大丈夫ですよ」と声をかけて、みんな安心したそうです。みちこはすぐ看護師さんに、仲間の名前を言って無事を確認したそうです。震度4という、東日本大震災を経験した今ではそう珍しくない規模の地震でしたが、みちこが出遭ったいちばん大きな規模の地震でした。

地震のあと、みちこの部屋には患者たちが集合したそうです。みんなで地震の話をしたそうです。

ナースセンターには部屋番号と、赤や緑のしるしがありました。みちこがたずねると、それは災害時の避難順序をあらわしたものだと看護師さんが説明したそうです。みちこは動けないので赤のしるしでした。



 

「みちこの生きた道」について。

JUGEMテーマ:健康
はじめまして。みちこの姉のしみです。

5月にみちこは病が発見され、1年半の闘病生活をおくりました。

みちこはまだパソコンも携帯もない時代、昭和の人でした。

そのみちこの日記帳を姉がみつけて、ちょうど日付がぴったり合った5月から日記をパソコンで書いているようにブログにアップしました。

たくさんの方に読んでいただき、誤解もまねいてこのブログは炎上しました。あのときはほんとうに申し訳なかったと思います。

こうやって一言、昔のことを少しフィクションを入れて書いたとはじめに書いておけばよかったと反省しています。

しかし、かなりの方に「うそ」「みちこなんていない」などと言われましたが、みちこは存在していました。

たくさんの人を不快にさせてしまってすみません。

みちこにも謝らなければなりませんね。

このブログは、腰部骨肉腫で逝った22歳の女の子の日記です。        2014.5.1 しみ

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